教えのやさしい解説

大白法 484号
 
内鑑冷然・外適時宜(ないがんれいねん・げちゃくじぎ)
「内鑑冷然・外適時宜」は、「内鑑冷然たり、外は時の宜(よろ)しきに適(かな)う」と読みます。
 これは、天台大師が著した『摩訶止観(まかしかん)』第五の文で、「内心では法華経が最勝であることをよく鑑(かんが)みて知っているけれども(内鑑冷然)、外には時が適っていないために説き表わさない(外適時宜)」という意味です。
 天台が同書に、「天親、龍樹、内鑑冷然たり、外は時の宜しきに適ひ、各権に拠(よ)る所あり」と述べているように、竜樹・天親は内心では釈尊の真実の教えである法華経の一念三千の法門を理解していましたが、外に向かってはこれを説かず、時機(じき)に応じて権教(ごんきょう)を説きました。
 すなわち、天台大師以前の大乗仏教の考え方には宇宙法界の真理を万物の「相」という観点から有(う)を中心に説く法相宗系(相宗)と、万物の「性」という観点から空を中心に説く三論宗系(性宗)の二つがありました。天台大師はこの二つの流れの代表者として天親菩薩と竜樹菩薩を挙げたのですが、天親菩薩は『法華論』で法華経が無上である(趣意)ことを説いており、竜樹菩薩は「般若は秘密の法にあらず。法華独(ひと)り真の秘密の法なり」と法華経を讃(たた)えています。天台は、この二人が内心では法華経が最も勝れた教えであることを知っていたが、説くべき時ではないので天親は解深密経、竜樹は般若経の権教の法門を弘めたのである、と説き明かしたのです。
 また、天台自身も、法華三大部を著して、膨大かつ正確な法華経の解釈をしていますが、これらの解釈は迹門(しゃくもん)を表とし、本門(ほんもん)を裏に込めた内容です。したがって、本門の肝心たる文底下種の南無妙法蓮華経の法体については顕(あらわ)に説くことができませでした。
 それはなぜかといえば『治病大小権実違目』に、
 「天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時(とき)来たらず、二には機なし、三 には譲られ給はざる故なり。今末法に入りぬ。地涌(じゆ)出現して弘通有るべき事なり」(新編一二三六)
とあるように、天台も内心では文底下種の妙法を知ってはいましたが、弘めるべき時ではない、本未有善(ほんみうぜん)の衆生の機でない、釈尊より結要付嘱(けっちょうふぞく)を受けていないからである、と御教示されています。
 しかし、天台は、「後の五百歳遠く妙道に霑(うるお)わん」と述べているように、迹化(しゃっけ)の菩薩として末法における文底下種仏法の出現を予証しています。
 そして現実に、末法にいたって、釈尊から本門の要法を結要付嘱された上行菩薩の再誕日蓮大聖人が末法の御本仏として御出現遊ばされ、末法流通の正体である妙法曼陀羅御本尊を建立あそばされました。
 このように、本来、仏法は、付嘱にしたがって弘通されていくのです。したがって、付嘱の師を無視し、独善的に仏法を解釈してはいけないのです。